山口行治(やまぐち・ゆきはる)
株式会社エルデータサイエンス代表取締役。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
ドイツの写真家Andreas Gursky(1955年~)の「メーデーⅢ」(1998年)
『統計的な?数字に騙されないための10の視点』(アンソニー・ルーベン、すばる舎リンケージ、2019年)は、政治やジャーナリズムにおける「数字」の内幕を、英国BBC放送の初代統計部長が経験した実話を語っている。特殊詐欺と同じようなもので、加害者が騙(だま)そうとすれば、被害者が騙されないようにすることは難しい。自然科学の論文でも、騙そうとすれば多くの読者は騙されてしまう。膨大なデータを集積しても、統計家が言う「バイアス」が混入している場合は、統計的な処理だけではデータの本当の意味を解明することは困難になる。統計的に騙すということは、意図的にバイアスを混入させることで、結論の数字だけが結論を正当化して、統計は忘却される。
数字でなくても、写真であっても「真実」を写しているとは限らない。たくさんの人びとが写っているからといって、国民全員が写っているわけではない。アンドレアス・グルスキー展(東京・国立新美術館、2013年)では、広場に散乱しているゴミの写真と、人びとの政治的な意思表示の写真が、同じような統計的なイメージとして並べられていた。
ウイルスは数字や写真を使わないけれども、宿主を統計的な意味で騙している。「統計的な?」というよりも、「ランダムな?」というほうがふさわしく、博打(ばくち)に騙されているようなものだ。政治的な意思もウイルスのようなものだと言えば、無政府主義者といわれるだろう。宗教を伝染病にたとえた思想家もいた。ウイルスの創造性は、AI(人工知能)など、ビッグデータ指向のプログラミング技術の最先端だと考えれば、ウイルスのように、統計的に騙したり騙されたりすることも悪くはないかもしれない。それでも、新型ウイルスのパンデミック(世界的な流行の拡大)を防止したいのなら、テレビの数字に騙されないようにして、数理感染症学の微分方程式を信用するしかないだろう。ウイルス感染の場合、微分方程式は差分方程式の近似でしかなく、突然変異の確率も含めると、最新のスーパーコンピュータであっても、計算速度が実際の分子進化のスピードには追い付かないので、近似計算を信用するしかない。「ランダムな?」計算には、方程式を出発点にするのではなく、データそのものから再考すること、ウイルスの生き方から学ぶこと、ビッグデータ指向のプログラミング技術で対応すること、それは政治でも科学でもなく、近未来の生活の知恵なのだろう。
WHAT^(ホワット・ハットと読んでください)は、何か気になることを、気の向くままに、イメージと文章にしてみます。
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