山口行治(やまぐち・ゆきはる)
株式会社エルデータサイエンス代表取締役。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
欧州美術史講座2019年9月17日 より引用
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「木の根と幹」 ゴッホ 1890年7月 ゴッホ美術館
オランダの画家、フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(1853年3月30日-1890年7月29日)が死の直前に描いた未完の遺作「木の根と幹」は、21世紀の今日でも異彩を放っている。木の根、草の根、神の根、人びとの根、根は天上を目指さず、深く静かに大地にもぐりこみ、他の根とコミュニケーションを行う。森や有機菜園などの生物多様性が豊かな土壌では、菌根菌の菌糸がネットワークを作っている。
デジタル化された人びとの生活は、根っこを失ったのだろうか。詩人・森川義信(1918-1942年)の作品「勾配」には確かに根があった。時代は、「誰がこの階段をおりていつたか」と問う人びとの運命を、悲風にさらしたけれども、きびしく勾配に根をささえる雑草のかげから、「いくつもの道ははじまつてゐるのだ」とむすんだ。
勾配
非望のきはみ
非望のいのち
はげしく一つのものに向つて
誰がこの階段をおりていつたか
時空をこえて屹立する地平をのぞんで
そこに立てば
かきむしるやうに悲風はつんざき
季節はすでに終りであつた
たかだかと欲望の精神に
はたして時は
噴水や花を象眼し
光彩の地平をもちあげたか
清純なものばかりを打ちくだいて
なにゆえにここまで来たのか
だがみよ
きびしく勾配に根をささへ
ふとした流れの凹みから雑草のかげから
いくつもの道ははじまつてゐるのだ
デジタル技術が光速に近づくと、時間は消失する。少なくとも、時空の確かなスケールのように思われていた「時間」は、孤立した出来事の連鎖でしかなくなるらしい(『The Order of Time』〈Carlo Rovelli, PENGUIN BOOKS, 2019〉)。根っこを失うということは、集合的感覚としての「時間」を失うことでもあり、コミュニケーションにおける「栄養素」が失われ、排他的な攻撃性が際立つのかもしれない。デジタル化された人びとの生活は、終着地点ではなく、量子化された時空の始まりでもある。ウイルスの進化論は、そのような量子化された時空としてしか理解できないのかもしれない。人びとの生活が、ウイルスとは無縁ではなくなってしまった今日において、大地に向かう「根」を見失わないようにしたい。
WHAT^(ホワット・ハットと読んでください)は、何か気になることを、気の向くままに、イメージと文章にしてみます。
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