山口行治(やまぐち・ゆきはる)
株式会社エルデータサイエンス代表取締役。元ファイザーグローバルR&Dシニアディレクター。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
東京はサクラの花が満開だ。コロナは自粛要請だったけれども、ロシアには自粛はない。ロシアの軍事作戦は、戦争以下の軍事暴力で、作戦どころかシナリオも意味不明だ。米英は戦争に勝とうとしても、当事者にシナリオが無いのだからやっかいだ。世界の未来は不透明どころか、病気としか言いようがない。それでもサクラの花は確実に北上する。農園は高地なので、3週間ほど季節が遅くなる。農園の異常気象は、暑い夏に大雪の冬。地球規模の異常気象では、山火事が頻発し、氷河が解けて海面が上昇するのだろうか。
『縄文ムラの原風景-御所野遺跡から見えてきた縄文世界』(新泉社、2022年)
前稿(『週末農夫の剰余所与論』第25回、太古のデータ文明)に引き続き、未来に開かれた縄文時代から、ちっぽけな過去に閉ざされた現代をふり返ってみたい。岩手県の御所野(ごしょの)遺跡は、縄文時代中期後半に約800年続いたムラの跡だ。定住をして、クリなどの栽培をしていた。近隣地域と土器や石器などの交易を行い、農耕や鉄器の大陸文化とは異なる生活様式を確立していた。国家や軍事とは別次元の世界で、長期間安定した社会を運営していた。海面と気温が大きく変動する、現在よりも荒々しい自然環境に適応するために、様々な社会実験が行われていたのだろう。多面的かつ科学的な最近の研究によって、縄文世界を理解する常識が大きく変わってきた。先史時代にも歴史はある。文字による、権力者中心の歴史感が無いだけのことだ。しかし、文字の記録が無いので、わからないことが多い。限られた出土品から推測されること以外は、空想(先史フィクション)の世界だ。
クリやトチの実を主食にするためには、洗練されたあく抜きや渋皮むきの方法があったはずだ。豊富な流水と、寒くて乾燥した冬をうまく活用したのだろう。単純に土器で煮れば食べれないでもないだろうけれども、おいしくはないし、保存にも適していない。土器に写った跡から、竹編み細工のかごなどが作られていたことは確かなようだ。竹かごがあれば、流水にさらしたり、蒸したりできる。当時の技術を再現することはできないとしても、1年近い手間をかけて、ていねいに作られたトチ餅はとてもおいしい。縄文時代からの知恵と味覚が、1万年間引き継がれたのだと思う。
縄文人の交通手段はどのようなものだったのだろうか。縄文海進(https://ja.wikipedia.org/wiki/縄文海進)によって、現在より海面が上昇し、河川の内陸奥部まで内海や入り江が広がっていた。おそらく、単純な丸太カヌーであっても、沿岸部を安全に航行する技術があったのだろう。信州や東北など、地域によっても交通事情は大きく異なっていたはずだ。縄文時代よりはるか昔、中新世中期~後期(約1500万年前~約900万年前)では、東北地方は八溝山地や日光山地などが島となって点在する島国だったらしい。海面や陸地プレートの複雑な上昇・沈降によって、日本の国土は大きく変化した。絶滅する動植物の相互関係など、環境変化への適応はとても複雑で、科学的な理解を超えている。
ヒトは文字が無くても思考できる。しかし、想像できないことを思考することは困難だ。代数学で何か数学的な対象を見いだした場合、幾何学によって想像できるようにする。代数学の発見に至るプロセスは「天才」であって、凡人には理解不能かもしれないけれども、発見された数学的対象、例えば定理などは「確実」なので、(数百年の)時間がかかっても幾何学的なイメージを追求することができる。数学的な対象が「確率」の場合は、代数学のような確実な裏付けができていないので、幾何学的なイメージも怪しいものになる。それが、分布関数による統計学の基礎ということになる。しかも実際のデータから、分布関数が明確にイメージできるのは、丁半博打(ちょうはんばくち)の2項分布ぐらいのものだろう。もちろん数学は、数字だけでできているわけではなく、文字を高度に利用している。しかし文字が無くても、因果推論により、複雑な思考を行うことはできるかもしれない。文字が無い場合、思考のプロセスや、データ解析のプロセスを説明することは困難であっても、結果だけならば、特に重大な結果の場合、コミュニケーションも可能だろう。
縄文人の思考について空想をしていると、未来のデータ文明が見えてくるような気がする。縄文の文化が、未来に開かれているということなのだろう。AI(人工知能)将棋の思考プロセスを理解することは不可能であっても、AIの最善手がヒトの判断を超えているとするならば、ヒトはAI将棋を反復学習することで、何らかのイメージを連想記憶できるようになるかもしれない。問題なのは、ロシアの独裁者ように、ルールが意味をなさない世界において、AI戦争を行ったとしても、理解不能な最善手が最悪の結果を意味するかもしれないということだ。日本の皇国史観も、先史時代の歴史を無視した、ちっぽけな歴史観であることに変わりはない。ちっぽけな過去に閉ざされた、勝敗だけの、あとづけの論理でしかない現代文明は、未来のデータ文明とはほど遠い。
多少、現実的な話をしてみよう。ウクライナの戦場では、イギリスの英特殊空挺部隊(SAS)と米海軍特殊部隊(ネイビーシールズ)が、ウクライナ軍を陰で支えているという記事がある(PRESIDENT Online、2022/3/25)。これらの特殊部隊は、対外情報機関(スパイ)と軍の機動部隊との中間のような、まさにハイブリッド戦争のために作られた組織で、OO7をイメージすると分かりやすい。日本にも「忍者」という特殊部隊があった。人里離れて訓練(修業)を積み重ね、非公開で薬学や化学の知識を習得し、実戦に使っていた。日本の場合、核戦略やAI兵器の開発に資源を投資するのであれば、「忍者」をイメージしたスパイを養成するほうが現実的だろう。武器を開発する場合でも、まずは最先端の武器を使う超人的なヒトに投資するのだ。「忍者」はテロリストではない。人びとのレジスタンスを支援する専門家であって、正規軍の戦略の一部となる。「忍者」が百姓一揆にどのように関与したのか、興味深い。ヒトへの投資は中途半端であっては成功しない。年俸1億円以上であっても、100人程度なら、日本の軍事予算でもなんとかなる。台湾、中国、韓国、北朝鮮であれば、スパイとしても見分けがつきにくいだろう。欧米人ではスパイ活動が難しい地域で活躍できる。日本政府の対外情報機関(スパイ)が、「忍者」のレベルに達しているとは思えない。超小型スパイ衛星と「忍者」の組み合わせをイメージできるのは日本だけだ。百姓一揆という、人びとのレジスタンスから学ぶこともできる。「忍者」に栄光は無い。人びとには未来がある。
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『剰余所与論』は意味不明な文章を、「剰余意味」として受け入れることから始めたい。言語の限界としての意味を、データ(所与)の新たなイメージによって乗り越えようとする哲学的な散文です。カール・マルクスが発見した「商品としての労働力」が「剰余価値」を産出する資本主義経済は老化している。老人には耐えがたい荒々しい気候変動の中に、文明論的な時間スケールで、所与としての季節変動を見いだす試みです。
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