山本謙三(やまもと・けんぞう)
オフィス金融経済イニシアティブ代表。前NTTデータ経営研究所取締役会長、元日本銀行理事。日本銀行では、金融政策、金融市場などを担当したのち、2008年から4年間、金融システム、決済の担当理事として、リーマン・ショック、欧州債務危機、東日本大震災への対応に当たる。
緊急事態宣言が解除され、「新しい日常」が始まった。今回のコロナ危機を受け、世界経済、日本経済はどう変わるか。
まず、グローバルサプライチェーンの行方を考えてみたい。世界経済の発展の原動力となってきたサプライチェーンの拡充に変化はあるか。
◆需要ショックと供給ショックの交錯
コロナ危機がサプライチェーンに与える影響は、複雑だ。需要ショックと供給ショックが、同時に発生するからだ。
需要面では、外出自粛や営業自粛に伴い、レジャー、飲食、旅客輸送など、広範な分野で需要が減退する。同時に、供給面では、従業員の出社抑制により、生産活動に停滞が生じる。サプライチェーンの分断が問題となるのは、主に供給面のショックだ。
経緯を振り返ろう。中国・武漢で感染が明らかになった直後、グローバルサプライチェーン分断の懸念が台頭した。実際、武漢周辺に生産工程の一部を置く製品群に、世界的な生産の停滞がみられた。一方、需要の減退は、世界的にみればまだ限定的だった。【供給ショック>需要ショック】の局面である。
しかし、世界に感染が広がるにつれて、サプライチェーン分断を懸念する声は逆にしぼんだ。供給以上に需要が縮小したからだ。生産の縮小は、むしろ需要の減少に対応するものとなった。【需要ショック>供給ショック】の局面である(参考1参照)。
(参考1)需要ショックと供給ショックの概念図
(出典)筆者が作成
このように、サプライチェーンの分断が企業活動に深刻な影響を及ぼすかどうかは、供給ショックと需要ショックの大小関係に左右される。では、今後はどうか。
緊急事態宣言の解除を受けて、需要は徐々に回復するだろう。供給も同様である。しかし、両者のテンポが一致するとは限らない。
南半球は冬季に入る。感染の拡大・収束のタイミングには、地域差がある。また、最近は、各地の港で乗組員の下船が認められず、貨物船の乗員が集まりにくくなっているとの話もある。こうした事態が続けば、供給ショックは長引くことになる。
さらに、感染の第2波、第3波が懸念される。そうなれば、需要、供給は縮小と回復を繰り返し、需要曲線と供給曲線も左右に往き来する。サプライチェーン分断への懸念は、やはり軽視できない。
◆地政学的な要因も分断加速の方向へ
さらに、コロナ危機は地政学的な緊張を高めている。
政治・外交面では、今回の危機以前から、自国中心主義、大国主義が台頭していた。その背後には、各国の所得格差の拡大に対する不満の高まりがある。外出制限に伴うストレスは、こうした政治風潮を助長し、受け皿となる政治は外にはけ口を求める。
米国トランプ政権は、危機の対処に当たり、国際協調のリーダーシップを一切とろうとしなかった。戦後の米国外交史のなかでも、稀有なことだろう。
中国習近平政権は、世界的な感染拡大のきっかけとなったにもかかわらず、マスク外交を通じて新興国などへの影響力の拡大を図りつつ、香港への圧力を強めている。
この結果、米中対立は一段と先鋭化した。今後、貿易制限の強化などを通じて、サプライチェーンの分断に拍車がかかるおそれは強い。
◆域内の地産地消型チェーンに?
こうしてみると、単一のグローバルサプライチェーンに依存するのは、やはり危うい。かといって、日本国内に生産工程の回帰を促すのは誤りだ。
生産年齢人口が減少する日本にあって、より高い成長をめざすには、グローバルサプライチェーンへの関与が欠かせない。生産工程の安易な国内回帰は、コスト高をもたらし、競争力を失う。効率的なサプライチェーンへの関与が日本経済の発展の原動力であることに変わりはない。
ならば、サプライチェーンの複線化を図ることが重要である。ただし、単に複数のチェーンを用意するだけでは、グローバルなリスクを軽減できない。同一域内の2拠点に同一の生産工程を分散しても、防げるリスクは限られる。
感染の波の類似性や地政学的な要因を踏まえれば、やはり一定域内でのサプライチェーン構築をめざすのが自然だろう。当面、サプライチェーンの二重化を図りつつ、究極的には、アジア(除く中国)、中国、米州、欧州といった各域内での、地産地消型サプライチェーンの構築をめざすことである。
◆中国経済の立ち位置
注意を要するのは、中国経済の立ち位置だ。OECD-WTO(経済協力開発機構 / 世界貿易機関)の「付加価値ベース貿易統計」によれば、中国は、近年、グローバルサプライチェーンへの関与(backward participation、注)を急速に低下させている(参考2参照)。
(注)海外から部品や中間品を輸入し、国内で完成品もしくは完成品に近い中間品に加工して輸出する工程に着目し、総輸出に占める海外創出付加価値分の比率をいう。
(参考2)総輸出に占める海外創出付加価値の比率推移(backward participation、%)
(出典)OECD “The changing nature of international production : Insights from Trade in Value Added and related indicators”(Tiva Indicators 2018 Update)から抜粋
OECDは、中国経済の変質を、「製造業、貿易主導の経済成長」から「国内供給・消費型経済成長」への転換とみなす。すなわち、加工・組み立て型経済から、部品中間品から完成品までの一貫生産型経済に、立ち位置を変えつつあるとの見立てだ。このような変化は、とくに電子部品、情報通信関連の分野で目立つ。
その背景には、①部品・中間品の生産の方が高い収益率を確保できる②国内に巨大な消費市場を抱えており、一貫生産したとしても、販売面でのリスクが小さい③国際摩擦を踏まえれば、海外の生産工程に多くを依存できない――などがあるだろう。
なお、同貿易統計によれば、輸出の中身も変わりつつある。中国経済は、製造業のウェートが依然高いが、それでも近年はサービス業の輸出割合が高まっている。けん引役はプラットフォーマーや情報通信関連企業であり、米国が中国を脅威とみる理由の一つだ。
こうした中国経済の立ち位置の変化を踏まえれば、中国との間のサプライチェーンのあり方も見直さざるをえない。
これまでは、日本企業は中国経済を、主にグローバルチェーンの一工程を託す相手として位置づけてきた。しかし、この関係はいつまでも続かない。実際、中国国内の賃金はずいぶんと上がった。
これからは、中国国内市場に形成されてくる一貫生産型サプライチェーンにどう関与していくかが課題となる。生産体制の再構築が急がれる。
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