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誰が東京五輪を2度楽しむか―戦後、長寿化はどれほど進んだか
『山本謙三の金融経済イニシアティブ』第11回

6月 10日 2019年 経済

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山本謙三(やまもと・けんぞう)

oオフィス金融経済イニシアティブ代表。前NTTデータ経営研究所取締役会長、元日本銀行理事。日本銀行では、金融政策、金融市場などを担当したのち、2008年から4年間、金融システム、決済の担当理事として、リーマン・ショック、欧州債務危機、東日本大震災への対応に当たる。

2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催まで、あと1年余りとなった。五輪誘致の際は、「前回の感動を、若者たちにも」が合言葉の一つだったと聞く。1964年の東京五輪は、それほど国民に誇りと感動をもたらした。

しかし、今回の東京オリ・パラをより多く楽しむのは、実は、時間に余裕のある高齢者ではないかとの見方がある。すなわち、2度目の東京五輪を迎える人々だ。一体、どれほどの人が2度目を楽しむことになるのだろうか。

高齢者3人に2人弱は長寿化の恩恵

前回の東京五輪を鮮明に記憶しているのは、当時、小学校高学年以上だった人々だろう。来年には、高齢者(65歳以上)カテゴリーの全員がこれに当たる。

人口の将来推計によれば、その数は3600万人にのぼる(日本人人口、注1)。全体の29%、すなわち10人中約3人が2度目を迎える計算だ。

(注1)国立社会保障・人口問題研究所「将来推計人口(平成29年推計)」による。前回五輪時との比較が可能となるよう、本稿では日本人人口を試算の対象とする(近年の在留外国人増加の影響を緩和するため)。

これほどの大人数が2度目を迎えられるのは、長寿化の恩恵にほかならない。もし、人々が誕生時の「完全生命表」の推定どおりに寿命を全うしていたとすれば、これほど多くの人数が2度目を迎えることはなかったはずだ。

過去の「完全生命表」を基に、それがどれほどの規模かを計算してみよう。試算結果によれば、長寿化がなかった場合の2020年時点の高齢者人口は1320万人だったと推定される(注2)。すなわち、高齢者3人に2人弱が、2度目の東京五輪を迎えられるのは長寿化のおかげということになる。

(注2)1972年以前の「完全生命表」によるため、沖縄県を含まない。試算方法は末尾脚注参照。

ちなみに、1950年生まれの人々の70歳(2020年)時点での生存確率は、同年の完全生命表によれば、4割台前半と推定された。これが、現時点では7割台後半に上昇している(参考1参照)。すさまじい長寿化ぶりである(注:本文中の図表は、その該当するところを一度クリックすると「image」画面が出ますので、さらにそれをもう一度クリックすると、大きく鮮明なものを見ることができます)。

(参考1)誕生時における年齢別推定生存確率と現時点での生存確率(見込み)

(出所)厚生労働省「完全生命表」、同「平成29年人口動態報告」、国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成29年推計)に基づき、筆者が試算。一部推計による

 国民皆保険の制度が長寿化に寄与

実際、日本の長寿化は世界のなかでも群を抜く。平均寿命が男女とも主要国1,2位を争う水準にあるだけでなく、長寿化のスピードが著しく速かった(参考2参照)。

実は、1965年当時の女性の平均寿命は、主要国で最も短かった。男性も、主要国中、中位の部類でしかなかった。それが、その後の20年ほどで一気にトップクラスに駆け上がった。その速さは桁違いである。

(参考2)平均寿命の国際比較

(出所)厚生労働省「平成29簡易生命表 / 平均寿命の国際比較」。日本のグラフへの赤い色塗りは筆者による

これには、いろいろな理由が指摘されている。しかし、なんといっても、国民皆保険制度の存在が大きいだろう。「いつでも、どこでも、誰でも」医療を受けることのできる制度が、国民の長寿化に貢献した。その傍証は米国である。国民皆保険の制度を採りいれてこなかった米国は、主要国のなかでも長寿化のスピードが断然遅い。

長生きにはコストがかかる

しかし、長寿を維持するには、かなりのコストがかかる。医療費や介護費だけではない。老後の生活費もかさむ。想定以上に長生きすれば、老後の生活費は一挙に足らなくなる可能性がある。(オフィス金融経済イニシアティブ2016年3月1日付の拙稿「なぜ高齢者は消費に向かわず、預金を溜め込むのか」参照、https://www.kyinitiative.jp/column_opinion/2016/03/01/post463)

年金は、本来、そうした長生きリスクに対応するための「保険」である。実際、国に納付するのは「国民年金保険料」と呼ばれる。しかし、長寿化の進行にあわせ、弾力的に制度を見直してこなかったために、制度の持続性が危ぶまれる。

そもそも国民年金が導入された1961年当時の寿命中位数(出生者のうち半数が生存すると期待される年数)は、男性70年程度、女性74年程度だった。すなわち、寿命中位数は、受給開始年齢の65歳を優に上回っていた。したがって、当初から、国民の過半が年金給付を受けられる計算だったはずだ。

しかし、長生きリスクに対応するための「保険」を、これほどの多くの人数に給付しようとすれば、制度の設計は必ずしも容易でない。ましてや、老後の生活費を一定程度賄えるだけの給付額にしようとすれば、設計はなおさら難しい。実際には、多くの子供が生まれ続け、保険料を納める人が増え続けることを前提に、設計された可能性が高い。

しかし、現実は逆だった。長寿化のうえに、少子化が進んだ。前回東京五輪時に比べ、小学生は4割弱減り、中学生は5割減少している。これでは、保険料を納める人と給付を受ける人のバランスは崩れ、財政にツケが回るのも当然である。制度の抜本改革がなければ、財政赤字を通じて子や孫の世代への負担転嫁が避けられない。

解決策はひとつしかない。長寿の恩恵を受けた分、一人一人が長く働いて、極力、保険料を納める側に回ることだ。

長生きは国の豊かさの象徴である。これを維持するには、勤労をもって長寿の恩恵に報いるしかないはずである。

【末尾脚注】

長寿化がなかった場合の高齢者数(2020年時点)の試算方法(一部推計を含む):
① 誕生年の「完全生命表」を基に、男女別に、死亡率を0歳から2020年の到達年齢まで積み上げる(1950年生まれであれば2020年70歳まで死亡率を積み上げ)
② ①を基に、2020年到達年齢での死亡確率と生存確率(=1-死亡確率)を計算する
③ これを各年の出生数(一部推計を含む)に乗じて、2020年時点の推定人口を試算する

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