山本謙三(やまもと・けんぞう)
オフィス金融経済イニシアティブ代表。前NTTデータ経営研究所取締役会長、元日本銀行理事。日本銀行では、金融政策、金融市場などを担当したのち、2008年から4年間、金融システム、決済の担当理事として、リーマン・ショック、欧州債務危機、東日本大震災への対応に当たる。著書に『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書2753、2024年9月)。
20年ほど前、ニューヨーク滞在時に興味深い話を聞いた。現地の子どもたちは、13歳の誕生日を迎えると、「私、今日からベビーシッターができるようになったので、いつでもお呼びください」と、近所を訪ね歩くというのだ。
前日までは、保護者やベビーシッターらの目の届く範囲でしか行動を許されなかった子どもたちである。
ニューヨークでは、13歳未満の児童を一人にすることは違法とされる。登下校時はもちろん、親の不在時に自宅に一人残すのも違法という。万一事故が起きたときは、罪に問われるおそれがあるそうだ。
おかげでベビーシッターは、高校生にとってよいアルバイトだという。知り合いから頼まれ、親が帰宅するまでの時間を、児童とともに過ごす高校生が一定数いるようだ。
◆男女の就業率格差は改善したが…
日本の女性の働き方は、過去40年ほどの間に大きく変わった。
横軸に年齢をとり、縦軸に就業率(各年齢階層の人口に対する就業者数の割合)をとってグラフを描くと、以前は、20代後半から30代後半にかけて大きな「へこみ」ができた。結婚や出産を機に職場を離れ、子育てがひと段落したところで再び職に就く女性が多かったからだ。
このグラフは、アルファベットの大文字「M」に似ているところから、「M字カーブ」と呼ばれた。
しかし、近年、20代後半から30代後半の女性就業率は大きく改善し、M字カーブの「へこみ」もほぼ消滅した。①未婚者が増えたことと②結婚や出産後も働き続けることのできる職場・社会環境が整えられたこと――が、主たる理由である(参考1参照)。
(参考1)男女別の就業率推移
(出所)総務省「労働力調査」をもとに筆者作成
◆だが、男女の正規雇用比率格差はほとんど変わらない
しかし、就業率の変化だけで労働環境の男女格差が縮小したと判断するのは、早計だ。
参考2は、男女の年齢階層別にみた正規雇用比率である。「正規雇用比率」とは、雇用者数(役員を除く)全体に占める正規雇用者数の割合をいう。
(参考2)男女別正規雇用比率
(出所)総務省「労働力調査」をもとに筆者作成
グラフから明らかなように、正規雇用比率の形状は、データをさかのぼれる過去14年間、男女ともにほとんど変わっていない。
男性(在学中の者を除く)の正規雇用比率は、50代まで一貫して90%前後を続けたあと、60代になると劇的に低下する。定年制の存在が、労働市場に大きな「ひずみ」をもたらしている。
一方、女性(在学中の者を除く)の正規雇用比率は、20代前半をピークに、その後は70代前半までひたすら低下が続く。2009年時点対比、40代までは正規雇用比率は若干上がったものの、50代以上は、過去と同水準ないし低下している。
政府は、保育所を増やしたり、児童手当を拡充したりして、子育て支援の充実を図ってきた。その効果は、女性就業率の向上となって表れている。
しかし、非正・非正規の現状を見る限り、男女の間には、依然大きな働き方の分断がある。
◆なぜ正規雇用比率のカーブはM字とならないのか
なぜ正規雇用比率の水準は、これほど大きな男女の違いがあるのか。そもそも、女性の正規雇用比率がM字カーブすら描かないのはなぜか。
出産、育児のためにいったん職場を離れると、再び正規の職に戻るのは難しい。当人にとっても、企業にとっても、リスキリングの時間と費用がかかるからだろう。
同時に、保育所、幼稚園期だけでなく、小学校通学期も「鍵っ子」としてよいかの問題がある。学童保育が普及したとはいえ、閉所時間を18時ごろとする先が多いようで、祖父母の支援なしに正規雇用を続けるのはハードルが高い。
内閣府「2020年男女共同参画白書」によれば、女性が正規雇用を離れるのは第1子出産直後が多いが、同時に、末子が小学校に入る段階でも再び正規フルタイム勤務の割合が低下するという。
◆経済社会にとって大きな損失
女性の非正規雇用比率の高さは、個々人のスキルを磨き、経済社会に貢献する視点からいえば、もったいない話だ。
もちろん非正規の職でもスキルの向上は可能だが、正規雇用に比べれば、多様な経験をする機会が限られるのも事実だろう。女性の非正規雇用の現状は、日本の経済社会にとって大きな損失である。
同時に、非正規雇用の相対的な低賃金と、正規雇用への移動の難しさが、低生産性の企業を支え、結果的に日本経済の新陳代謝を進みにくくしてきたようにみえる。
参考3は、過去14年の年齢別男女別正規・非正規雇用数の増減を示したものだ。たしかに、若い世代の女性の正規雇用は増えた。しかし、これは同年代の男性の正規雇用の減少を補う規模にとどまる。
むしろ2009年以降の雇用の増加で、最も多数を占めたのは、50歳以上の非正規雇用であり、とくに女性が多かった。上述のように、同年齢層の女性の正規雇用比率は14年前とほとんど同水準か、むしろ低下している。
それだけ、企業の稼ぐ力は高まらず、非正規シフトを進めることで賃金コストを抑え、生き残った企業が多かったということである。
(参考3)年齢別男女別正規・非正規雇用数増減(2009→2023年)
(出所)総務省「労働力調査」をもとに筆者作成
◆埼玉県議会「子ども放置禁止条例改正案」の撤回問題
思い起こされるのが、2023年秋の埼玉県議会における「子ども放置禁止条例改正案」をめぐる騒動である。
この改正案は、子どもだけの外出や短時間の留守番を、子どもへの「虐待」に当たるみなすものだった(罰則はなし)。報道によれば、高校生のきょうだいに子どもをあずけて外出することも、「虐待」とされるという(2023年10月6日付東京新聞による)。
県議会の委員会でいったん可決されたものの、県内外からの激しい批判を受けて、県議会の採決前に撤回された。
子どもの居場所が確保されていない以上、撤回は当然だった。
しかし、親の働く時間と子どもが一人になる時間のミスマッチが、日本社会にとって深刻な問題であることに変わりはない。改正案を撤回すれば、コトが終わる性格のものではない。
根は深く、単純な解決策はありえないが、少なくとも社会全体で課題認識の共有は図りたい。
①テレワークを含む勤務時間の柔軟な設計②残業時間の圧縮③男性と女性の家事・育児労働の均等化④正規・非正規にかかわらない「同一労働・同一賃金」の実現⑤より長い時間過ごせる「場」の設置――など、思いつくだけでも課題は山積している。
女性の非正規雇用比率の問題は、日本社会の縮図である。
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